滋賀から関空まで歩く!?三日間の歩行譚#01

僕はマゾヒストボーイ

パミールハイウェイを歩く。そんなふとした思いつきから福井から京都までの90キロを踏破した2017年12月。そこから学んだのは90キロを歩くことはしんどい、そして、パミールハイウェイを歩きぬくのは険しすぎる道のりであるということでした。

 

パミールハイウェイを歩くのは特別な訓練でもしなければ難しいということを痛感します。でもその反面、長距離を歩く歓びみないなものに目覚めたことも事実です。意外とマゾヒストだったのです。

 

そして、年も明けたころ、パミールへの訓練も兼ねて、いや、自分の歓びの為に次の福井に続く次の行軍を計画し始めます。

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『ゲンロン0 観光客の哲学』読書ノート:旅人でも観光客でもないモノ#02

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前回↑の続き

  では、私は旅人として旅をするべきなのか、それとも、観光客として観光するべきなのか。そもそも旅人という概念はもはや哲学の世界にしか残っていないのではないか。

 まず、旅行というものの偶発性について考えてみよう。旅行というものはマクロ的に捉えた場合、政治や経済と密接に関わる問題である。日本の経済はいわゆる爆買いの中国人に支えられているし、訪日外国人の数値目標を政府は設定する。一方で、ミクロの視点では、旅行客の行動は文学的—少なくとも政治的ではない―だ。目的を持たない人々がショッピングモールをぶらつくように「ふらふら」物見遊山するだけである。合理的な理由や必然性はなく、そこには偶発性がある。旅であっても観光であっても各旅行者がそこで何をして、誰と交流して、何を感じるのかは誰にも分らないのであり、旅行とは偶発性の連続と言えるはずだ。

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『ゲンロン0 観光客の哲学』読書ノート:旅人でも観光客でもないモノ#01

 

 旅行に出るにあたって色々なことを考えなくてはいけないし、考える機会が増えた。ルートを決めたり装備を決めたりというような実践的なことも勿論だが、旅という行為そのものについても、考えることがある。人間にとって私にとって旅とはなんなのか。今から行く私の旅は一体何なのか。考えるのだけども、答えは出るものではない。そんなこともあって、旅に関する本を読み、その記録を書き留めたく思い、「読書ノート」の場所を作った。本来、人に見せなくてもいいのだけれど、目的がないとなかなかやる気にならない性分で、折角書き起こしたのなら誰かに見せたい。そういう思いでこれをブログに載せているので、この読書ノートは大仰な書評ではなく走り書きやメモを見るような気軽さで読んでほしい。

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敦賀=京都を歩く。地獄の90キロ行軍#03(リベンジ編)

ressoryankyoto.hatenablog.com

↑前回の続き

 

 (前回までのあらすじ)敦賀から歩き続けて、13時間、62キロ。僕と水戸クンは湖西線蓬莱駅にて行軍のリタイアを決め、リベンジを誓う。そして二週間後、僕らは再び歩き始めるのだった。

 

 リベンジの蓬莱駅

来たる12月27日、僕と水戸クンはリベンジに向かいました。大学が終わった午後6時に時計台で待ち合わせをし、蓬莱へ出発します。

 

年の瀬の深夜。水戸クンは28日の昼には帰省するというし、平日は夜しか時間がないし、クリスマスに男二人で歩くのは寂しいし、忘年会があったりするしで、この日になったわけです。

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敦賀=京都を歩く。地獄の90キロ行軍#02

ressoryankyoto.hatenablog.com

↑前回の続き

 

(前回までのあらすじ)なんだかんだで敦賀まで来た僕(れそくん)と水戸クン。敦賀到着後、即、スタート地点をずらし歩く距離を減らすという妥協をしたのだが。。。

 

 順調なスタート

そうして、15時7分、小雪舞う福井県敦賀市ヨーロッパ軒駅前店から91.4キロの地獄の行軍が始まりました。

 

といっても最初は傘を片手に談笑をBGMにサクサクと敦賀の市街地を抜けていきます。スタートから1時間、5.1キロ最初の休憩ポイント、敦賀バイパス入り口に到着。雪は雨に変わり全身濡れてはいますが、ほぼ予定通りです。

 

そして思います。

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