【スペイン】外国人のインスタストーリーがパリピ過ぎて感情が無になる(上)

2018年ヒップホップ流行語大賞はKawasaki DriftのT-Pablow(下写真の帽子。写真はBADHOPのメンバー。)のバースから「川崎区で有名になりたきゃ人殺すかラッパーになるかだ」ってラジオでR指定が言ってたんですけど、なんであんなT-Pablowは華があるんすかね。で、バレンシア滞在で初めての週末のことですよ。

 

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 ステイ先の家族と一緒に水族館に行って、のほほんとした一日を終えようとしていたんですが、お母さん(アルマさん)から「今から甥っ子が家に来るから一緒に遊びに行ってくれば?あなたに任せるけど。」と。

 

あ、甥っ子いたんすね。あと、遊びに行くってどこに。てか、初対面のスペイン人と二人っきりかい。

 

新事実と疑問と気になることは多かったんですが、正直、体調もそんな良くなくて外出する気は皆無だったんで断ろうとしたんですけど、「とりあえず来るらしいよ」と彼女。

 

そんなこんなで午後九時半になると家のチャイムが鳴らされまして、家にナイスガイが4人やってきました。

 

・・・4人?まさかの複数人。そして、なんかみんなイカツイ。

 

で、来るなり「ナイトクラブ行こうぜ」と。

 

ひょえー。やっぱ情熱の国はスゲーわ。「自由の国、アメリカ」「微笑みの国、タイ」「情熱の国、スペイン」この三ヶ国にしか許されていない「○○の国」を、伊達に「情熱」で冠しているわけじゃねーわ。得体のしれない東洋人とナイトクラブ行くかフツー。

 

「ありがたいんだけど、今日ちょっと体調が・・・」

 

「今日はパーティーだぜ!」

 

バレンシアの夜はすごいんだ!」

 

「でも・・・」

 

そしたらアルマが「あなたに行く以外の選択肢はないね」と。

 

おいおいおい。さっき「あなたに任せるけど」ゆーてたやないか。お前もそっち側か。アルマ弁護士なんですけど、さすがに状況を読むのが上手い。

 

ってなわけで、完全に押し切られて、初対面のスペイン人達と出会って10分でクラブに行くとこになったんですよ。すると、ナイスガイの一人が

 

「じゃ行くか。車取ってくる。」

 

え、もう早速行くんすか。まだ10時っすよ。てか、クラブに車で行くんすか。これ帰りどーすんのよ。

 

で、10時30分。荒い荒い運転でクラブに到着しまして。

 

「オープンは12時だからちょっとここで待とう」

 

じゃー、家にいればよかったやろがい!とは言わずにまぁ待ちますわな。

 

ここでスペイン語の喋れない僕と英語の喋れない彼らがなんとかコミュニケーションをとってみると、彼ら全員が甥っ子なわけではなく、甥っ子とその友達3人らしく、一番イカツイ格好してるあんちゃんが甥っ子だとか。名前はパブロ。バレンシアのパブロ。

 

ここで僕の脳内では、BADHOPの「Asian Doll」という曲が浮かびまして、

 

欲しいものを買いまくっても満足しない 次欲しいの何?

俺を困らすAsian Doll 全部君のせい

俺を困らすAsian Doll 全部君のせい

欲しがるシャネルにルブタン バレンシアガにプラダ

いくら稼いでも足りない 全部君のせい

  

バレンシアガと歌うT-pablowがこのイカツイ甥っ子とリフレインしだして、もう頭ン中では甥っ子がT-pablowなわけですよ。そしたらこの四人組がBADHOPに思えてくるわけですよ。で、俺はAsian Dollなわけですよ。

 

やべーこいつらやべーよ絶対。朝までヘネシー飲むよ絶対。

 

休日もTrouble Men

俺ら遊びすぎてるせいさ

平日ですらもTrouble Men

派手な遊びしすぎたせいさ

朝までHennessy

 

 そう思ってました。その時は。この時僕はは気付いていないんです。周りのグループがみな男女で来ていることを。野郎しかいないのが我々ぐらいなことを。

で、12時回ってリストバンドもらってクラブへ入って行きますわな。

さすがスペイン。ラテンミュージックがガンガンにかかってるフロアが人でごった返してるわけっすよ。そんな人をかき分けながら、とりあえず一杯飲むか、と。で、なんとかバーカンまで辿り着いて、パブロがなんか注文します。やっぱヘネシー頼むんかな、パブロ。とか思ってたら、やってきたのはサザンコーラ4杯。

 

いや、めちゃくちゃ度数低くて飲みやすいヤツじゃないっすか。先輩。てか、4杯?全部で5人いまっせ。

 

足りなくない?ってパブロに訊いてみると、

 

「あぁロチョ(友人の一人)は今日運転するから飲めないんだよ。」と。

 

いや律儀ィー!

 

小2の頃にはタバコをふかし

金髪でスカジャンの友達

むかつく奴ら頭かち割り

周りの大人背中に入れ墨

13の頃には立派な犯罪者

用意周到乗り込むヴェルファイア

人を傷つけてはまた得る快楽

真面目ちゃんがベッドで寝てる間

朝まで溜まる中留公園

また檻のなか悲しむgirlfriend

出てきてすぐおまわりとcar chase

行ったり来たり遠回りの人生

 

BADHOPなら、こうであれ!なに安全運転しようとしてんねん。バリバリ飲んで朝帰りして逮捕されなさいよ。そんでロチョ君は傍らでスプライト飲んでるわけっすよ。

 

でも、まぁ意外とスペインのBADHOPは遵法意識が高いのかもしれない。その分フロアではスゴイんだろう。そう思って、フロアに戻ります。フロアはかなりの人でめちゃくちゃ盛り上がってる。そんな中でバレンシアのBADHOPは・・・

 

・・・いや全然やんけ。お前らずっと4人で踊ってるだけじゃねーか。4人で円つくって縦揺れしてるだけじゃねーか。

 

楽しそうな男女に囲まれた野郎4人の小さな円ですよ。人々の熱が解き放たれるフロアという太陽に浮かぶ小さな小さな黒点ですよ。お前らだけ温度低いよ。おい。

 

一方、僕はと言いますと4人の円を横目で見つつ、もはや自分が周りにいる女の子に話しかけた方がいいんじゃないかと思いながらも、言葉と人種の壁のせいで躊躇っちゃって。なんとなく曲に乗っていたんですよ。

 

すると遠くの方から僕の方に人が寄ってきまして、それが黒人の女の子でして。若くて小柄なミッシェルオバマを想像してもらえると近しい女の子でして。

 

スタスタ近づいてきたかと思うと距離5センチぐらいのところでスゴイ踊ってくる彼女。エロい。せっかく来てくれたもんだからとりあえず向き合って踊ってみる僕。すると、彼女、僕に抱きついておっぱい押し付けてくる。めっちゃエロい。

 

さらにエスカレートして、 僕の太ももにまたがって腰をくねらす彼女。なんかもう・・・エロい。

 

で、「え?誘ってんの?このままどっか行く?」とは言えずに、ただただ照れるしかない僕。

 

そして、照れてる僕と腰振る黒人をスマホで撮ってるパブロ。はしゃぐ友人3人。

 

そんなことをしてる間に曲が変わって、彼女は僕から離れてどこかへ行ってしまいました。

 

残されたのは野郎5人。僕は後悔。で、4人だった小さな円は5人になりましたとさ。そのまま午前4時前まで5人で円を作り、ひとりシラフだったロチョの運転で僕らは家に帰ります。帰り際、黒人の彼女は他の男で腰をくねらせてましたとさ。めっちゃ後悔。

 

 

 ・・・なんやコレ。

 

そして、二週間後、僕ら5人は再び夜の街へと繰り出すことになるのです。すんません、次から本題です。

【タジキスタン】世界の屋根と自転車素人#04「チャイと賄賂について」


 (前回↑の続き)

 

チャイで待つ

翌日。8月14日。朝5時に起き、荷造りを済ませて宿を出た朝7時。10分ほど自転車を押してバス溜まりに着くと件のドライバーとシルバーのランクルトヨタランドクルーザー)が僕らを待っていた。さぁ出発!かと思ったが、そうではないらしい。というのも、我々以外にホログまで行く客を待っているのだという。ドライバーにも生活がかかっている。一人でも多く乗客を集めたいのだ。「俺は客を待ってるから。ここでチャイでも飲んで待ってて。客が集まったら迎えに来るから。」と僕らは市場の食堂の様な所に連れていかれた。で、僕らはチャイを啜って時間をつぶした。

 

中央アジアのチャイはインドのようなミルクティーではなくて、いわゆる普通の紅茶や緑茶だ。ヤカンに並々入ったチャイを湯吞に移して、そこに大量の砂糖を入れてチビチビ飲むのが中央アジア式。おやつ時にはジャムやコンポートを投入することもある。俗に言うロシアンティーだ。中央アジアでこのチャイほど飲まれているものはない。何かを食べる時、そこには必ずチャイがあるし、どんな辺鄙な土地の食卓でも必ずチャイはある。そして、彼らは「チャイ?」と外国人の僕らをお茶に誘ってくれるのだ。ある時は道端のおばあちゃんから。ある時はトラックを修理しているおっちゃんから。それほど彼らの生活にチャイは根付いているし、チャイを介して彼らは話に花を咲かせるし、チャイで時間をつぶすのだ。

 

話を戻そう。中央アジアの人々にならって、チャイで時間をつぶしている僕らだが、肝心のドライバーは一向に迎えに来ない。15分、30分、45分と待っても彼の姿はなく、ポットに並々と入っていたチャイはもうほとんどなくなってしまった。待ち始めてから1時間が経過して、ヤツに荷物だけ持ってかれてトンズラ、という可能性が見え隠れしはじめた矢先に彼が戻ってきた。よかった。悪く思ってごめんよ。そして満を持して、さぁ出発!かと思ったが、そうではなかった。なんと彼、隣のテーブルでチャイを飲みだしたのである。

 

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…結局、出発したのは集合から2時間後の朝9時だった。多くの車はもう出発していて、残っている車の数は半分ぐらいになっていた。ドライバーのチャイ休憩が終わると、ようやく僕らはランクルの三列目に乗り込む。ランクルの三列目は思っていたよりも狭くて座った段階で頭は天井スレスレ、足元に余裕は無く座席に手荷物を置いてしまうと幅の余裕もない。これで12時間かぁ…と早くも若干の不安を感じていると、ずいぶんとガタイの良いおっさんがこっちにスタスタと歩いてきた。で、車に乗り込んでくる。で、僕らの隣に座ってくる。そして、座ってしまった。そうしてランクルの三列目は成人男性3人がオキュパイド。こうなるともう一分の隙間も僕らにはなくて、不安が絶望に変わったその時、ランクルは動き出した。計9人を乗せ、2台の自転車とたくさんの荷物を載せたランクルがようやく動き出した。僕のため息はエンジン音にかき消された。追い打ちをかけるようにドライバーはタジキスタンの歌謡曲を爆音で垂れ流す。僕のため息はもうどこにも残っていなかった。なんとも形容しがたい歌謡曲たちは最後まで止むことはなかった。

 

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検問所のカネ

3時間ほど走って昼食のために休憩を取った後から景色が変わっていった。標高が上がるにしたがって草木は少なくなり、道は荒れてゆく。そうして、登っていくうちに不意に車が止まった。検問所と軍人の姿がある。どうやらここからがゴルノバタフシャン自治州らしく、それはボーダーコントロールだった。パスポートとビザと共に入境許可証を提示すると僕らのランクルは特に問題なくゴルノバタフシャン自治州に入境した。余談だが、この後ホログに着くまでに何度か検問所があってその都度に僕らは足止めを喰らうことになる。ドライバーは毎度毎度、検問所の軍人の詰所まで赴くのだが、その手には僕らのパスポートと入境許可証の他に現金も握られていた。通行料という名の賄賂が必要なのだろうか。軍人らの生活も楽ではないのだろう。彼らを無下に批判することは出来ないが、この国には不要な障害が多すぎる。と思った。

 

ゴルノバタフシャン自治州に入るとすぐに峠に当たる。峠を越えて、再び下っていくと両側を高い山に囲まれた川に出くわして、車はそれに沿って走っていくこととなる。すれ違うのもやっとな砂利道で、まれに木が生えている乾ききった土地だ。ほんとうにこの先に人口3万の都市が待っているのだろうかと不安になるが、ランクルは砂塵の中を進むだけだ。対岸はもうアフガニスタンである。

【タジキスタン】世界の屋根と自転車素人#03 「アチチスタン」

(前回↑の続き)

 

 ドゥシャンベにて

 ドゥシャンベに安宿は2軒しかない。その片方に3泊した。朝食付きで一泊7ドル。我々にとっては確かに安宿なのだが、タジキスタン人にとっての7ドルは決して安くはないのだろう。ドゥシャンベで唯一の欧米系高級ホテルにほど近い高級住宅街の中に立地した豪邸をホステルとして利用しており、満足なネット環境があったのはこの国でココだけだった。とても良い宿だったが、この宿は異様だった。

 

というのも、庭には荷物を満載した自転車・単車・自動車が所狭しと停まっている。そうして宿泊客たちは日々どこへ行くでもない。ある者は車の下に潜り込んで修理をしているし、ある者は自転車を解体してメンテナンスをしている。そして、昼下がりにもなると彼らは茶を啜って煙草をふかして寝るのだ。この宿を訪れる客のほとんどはパミールシルクロードを横断する「冒険者」。この宿はそんな旅路のベースキャンプなのだ。例えば、自動車の集団はレースの最中だという。なんでもヨーロッパからモンゴルまで小型自動車で横断する「モンゴル・ラリー」という大会の真っ最中らしかった。砂塵にまみれた各々の車がレースの過酷さを物語る。例えば、馬鹿でかい単車に乗るアメリカ人の親父はユーラシアを横断しているという。車体にびっしりと並ぶステッカーは行く先々での「冒険者」との交流の証らしかった。そんな中で、僕らの自転車だけが新品同然に光り輝いている。それが初心者感が満載でちょっとだけ恥ずかしかった。

 

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宿の様子

ドゥシャンベではひたすらに惰眠を貪って、たまに、必要なものを買いに行ったりした。歩いてみるとドゥシャンベの街は整然として建物は綺麗で、大通りにはゴミ一つ落ちていない。アジア最貧国とは思えない景観が続く。それは快適で過ごしやすいのだが、この国の経済規模でこの街の様子、いったいどれほどの血税が投入されているのだろうかとも思った。タジキスタンは他の中央アジアの国と同様に独立以来の独裁体制が続いている。街は大統領ラフモンの肖像画だらけだし、首都ドゥシャンベの市長は大統領の息子だ。どうやらこの街の整然さは彼らの権威を反映したものらしかった。そんなドゥシャンベの夏は最高気温が40度にも達するから昼になると街から人の姿が消える。閑散とした往来と微笑むラフマンの写真になんとなくディストピアを感じた。そして、僕はあまりに暑いので「これじゃあタジキスタンじゃなくてアチチスタンだね」と言った。海老名クンは微笑んでいた。ディストピアを感じた。

 

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ホログへ。
綺麗な街と立派な宿の居心地はすこぶる良かったのだが、長居するわけにもいかない。僕らは自転車旅のスタート地点、ホログへと行く必要があった。ホログはドゥシャンベから東へ700㎞ほど離れた街で、パミール最大の都市だ(といっても人口は3万人もいない)。ただ、この街へ行くのは簡単ではない。

 

まず、ホログのあるゴルノバタフシャン自治州は10年ほど前まで反政府勢力の拠点だった。そのため、情勢が安定した今でもホログに入るにはビザとは別の入境許可証が必要だ。そして、ホログへと続く道はアフガニスタン国境を添うように走る一本道。アップダウンが激しく、しかも未舗装。この道を半日以上走らなくてはいけない。それに、こんな道だからホログへの陸路の公共交通はなく、乗り合いタクシーをチャーターする必要があるのだ。

 

乗り合いタクシーは公式なターミナルがあるわけでもなく、街の市場の裏の駐車場に集まっているという。ということで出発の前日、乗り合いタクシーがたくさん溜まっているという駐車場に行って様子をうかがうことにした。何人かのドライバーと話してみると相場は一人300から400ソモニ。日本円で3600~4800円。それに積み荷代として50~100ソモニ、そんな感じだった。その中の一人が、「明日の7時に来い。三列目の座席なら全部込で300。二列目なら350。」と、わりかし好条件を持ち掛けてきたので、僕らは彼のトヨタランドクルーザーの三列目を選択して話をまとめた。どの車を選んでも「正解」というものは存在しない気もするが、この選択は明らかに失敗だった。そうとも知らずに、僕らは相場より安く交渉をまとめられたことにホクホクだった。アチチスタンだった。

超個人的2018年の10曲

 2018年は邦楽を聴き続けた年でした。spotifyの有料会員になったというのが一番の要因です。でも、旅行をしていて時間が出来た、日本が恋しくなった、というのも大きい気がします。旅の多くを占める移動の間、僕はたいていラジオか音楽を聴いていました。電車でもバスでも飛行機でもずっと聴いていました。

 

聴いていくうちに、この曲はすごいなぁみたいなのがなんとなく分かってくるようになりました。「映画は観ていくうちに観かただとかその良し悪しが分かってくる」一年間に数百本の映画を観た友人がそんな事を言っていましたが、今ならこの言葉の意味が理解できる気がします。楽曲のすごさみたいなのがぼんやりと分かってきたところで、好きだな、すごいな、と思った曲を紹介します。これは僕の忘備録であると同時にオススメなので、音楽素人の選曲ですがもしよかったら聴いてみてください。

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今年を振り返って

 

早いもので2018年もあと少しで終わりです。僕にとって2018年という年は忘れられないものになっていくんだろうなという一年でした。

 

旅を始めたのが8月の頭。このブログを始めたのが5月の終わり。そしてこの旅の前日譚である長距離歩行を始めたのが去年の12月。同じ一年間の話だとはとうてい思えないほど、日々の環境が目まぐるしく変わっていく一年でした。

 

今こうしてスペインでパソコンと向き合っている自分も、福井の山道を死にそうにながら歩いていた自分も、京都の自宅で惰眠を貪っていた自分も、タジキスタンの荒野にポツンと佇む農家でホームステイしていた自分も同じ一人の人間です。時たま、あれは本当に自分の身に起きたことだったのだろうかと思う時があります。自分ではない誰かの体験を自分が体験したように思っているだけではないのだろうかと思う時があります。

 

改めて旅行(とりわけ長期旅行)というのは不思議な状態だなと思います。日々、行ったことない見たことないが待ち受けています。非日常の日常です。そして過ぎ去った日々が自分の中に過去として定着していく前に次の非日常が待ち構えています。そんな状態の流れの中に身を置いていると、一か月前の自分と今日の自分が繋がっているのかが分からなくなってきます。一か月前にあの場所にいたのは本当に僕だったのだろうか。それほどまでに目まぐるしい一年でした。

 

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また、孤独な一年でもありました。長い間一人で旅をしていて寂しいと思う時はしょっちゅうあります。もはや団体行動にストレスを感じるほど一人の自分に慣れてしまったのもまた事実ですが、中央アジアの二人旅を思い出して誰かと旅をしたいと思う時もあります。レストランに一人で入るのに気後れして結局ファーストフード店を利用して後悔するような日々でこれが自分の旅行なのかと愕然とすることも多いです。思ったよりも旅人や現地人と仲良くなれないし、思ったよりも自分に文化を理解するだけの教養はなかったし、思ったよりも世界を旅し尽くすほどのバイタリティがないし、自分の理想の旅行像みたいなものからは遠く及ばない現状に、自分が嫌になることもあります。結局、youtubeを見てネットサーフィンしている自分が悲しくなることもあります。

 

自分が主体的に動かない限り旅が進んでいかないのが一人旅のいい所で悪い所です。何かをやりたい、何かを見たいと思うことが旅の活力ですが、その一方で「せっかくだから…」とか「旅行をしているのだからどこかへ行かなくてはいけない」とか義務感めいた思いで毎日歩みを進めていることも否定できません。残念ながら旅に旅させられている自分がいます。

 

そんなことを思いながら旅をすることになろうとは露ほども考えていませんでした。今はヨーロッパにいます。ここまで西に向かって旅をしてきてアジア的側面で日本を感じることが徐々に薄まってきましたが、西欧の先進国にいると日本という国の秩序や基盤の多くがが西洋文明に習って成り立っているのだと再確認させられ、ある部分では日本と近しいものを感じることも多いです。

 

年明けからは新大陸へ行くことになると思います。ユーラシア文明圏を抜け出してこれまでと全く違った未知の大陸に行くことに不安とそれ以上の期待があります。2019年。心新たにもう一度旅を始めます。それでは皆さん良いお年を。