敦賀=京都を歩く。地獄の90キロ行軍#02

ressoryankyoto.hatenablog.com

↑前回の続き

 

(前回までのあらすじ)なんだかんだで敦賀まで来た僕(れそくん)と水戸クン。敦賀到着後、即、スタート地点をずらし歩く距離を減らすという妥協をしたのだが。。。

 

 順調なスタート

そうして、15時7分、小雪舞う福井県敦賀市ヨーロッパ軒駅前店から91.4キロの地獄の行軍が始まりました。

 

といっても最初は傘を片手に談笑をBGMにサクサクと敦賀の市街地を抜けていきます。スタートから1時間、5.1キロ最初の休憩ポイント、敦賀バイパス入り口に到着。雪は雨に変わり全身濡れてはいますが、ほぼ予定通りです。

 

そして思います。

  「これをあと17セットっしょ?いけるやん。」

 

今、振りかえって、当時の自分にただただこう言いたい。「舐めんなよ。死ねよ。」と。

 

どぎついピンク色したアメリカのお菓子より甘い考えをしている僕らは、そうして滋賀を目指していきました。

 

福井と滋賀の国境は暗くて満足に歩道もない山道が続きます。正直、夜に歩くべきところではありませんでした。

 

行けども行けども森と山、そしてたまにの寂れた集落。上がり続ける標高と下がり続けるテンション。たまに水戸クンがくれる良く分からない外国のグミ。食べても何味なのか分からない外国のグミ。

 

ひたすら山道をこなし、県境を越えたのは18時半頃でした。

 

そして思います。

 

「もう後は京都まで下り坂と平地だべ。いけるやん。」

 

こう言いたい。「滋賀を舐めんなよ。死ねよ。」と。

 

 

卵とじうどん

19時半。道の駅マキノに到着。この辺りは琵琶湖が一望できて少しばかり感動したり、下り坂が続いたり、比較的順調に歩いていけました。

 

ただ、問答用無用に気温は下がり温度計はなんと1度。いや、1度て。スマホの充電は秒速で減っていき、徐々に冷たくなる指先、足先。それに水戸クンがくれる外国のグミ。やっぱり何味か分かりません。

 

そして、さらに歩くこと1時間。マキノ駅前の定食屋にてようやく晩御飯にありつきます。卵とじうどん。とにかく温まりたくて。食べると、もう、まるで母さんのぬくもりが体に広がります。

 

こんな素晴らしい卵とじうどんを食べれる私は特別な存在なのだと感じました。

 

今では私がおじいさん、孫に食べさせるのはもちろんヴェルタ―スオリジナル。なぜなら、彼もまた特別な存在だからです。

 

20180607030517

 ごめんなさい。話を戻します。

 

卵とじうどんを飲み干した僕はそして、思います。

 

「暖まったし、エネルギー補給もできたし、いけるやん。」

 

こう言いたい。「寒さを舐めn(略」

 

ほんとの地獄

この時点で21時過ぎ。ほんとの地獄はここから始まります。

 

今までの道のりとは違いました。高橋克典高橋克実ぐらい違いました。

 

寒さは一段と厳しくなり、まるで克実の頭皮のよう。

 

靴連れは段々と痛くなり、まるで直撃ライブグッディで安藤優子が克実に向ける眼差しのよう。

 

嗚呼、克典。克実のように寒い12月の夜。ひたすらに僕らは滋賀を南下しますが、もう克典は帰ってきません。

 

その代わりに両足の安藤優子が離れません。しぶとい。さすがフジテレビの夕方を二十余年背負ってきただけあります。

 

もはや道中は直撃ライブグッディ!と化しています。

 

途中、真夜中の白髭神社を通りますが、湖面に立つ鳥居に立ち止まる余裕もなく、ただひたすら克実と優子との我慢比べが続きました。

 

卵とじうどんを食べてから7時間。右手に見えていたオリオン座はすっかり左手に移動し、琵琶湖に沈まんとしています。

 

志賀口駅。スタートから61キロ地点。マッサージのため靴を脱いでみると、なんと、右足小指に右足小指ほどの大きさの水膨れが出来ていました。

 

水膨れも、筋肉的な疲労も限界を迎えつつありました。タフガイ・水戸クンのペースについていくのがやっとの状況で、疲れから腰を落としてすり足で歩くもんだから、ちょっとした段差に躓きそうになります。

 

12月の夜は長くまだ寒いままで、直撃ライブグッディ!は終わりません。僕はそして、思います。

 

「京都に帰ろうよ」

 

れそ、逝く。

志賀口駅を4時過ぎに出発しましたが、足取りは重く、次の1キロを歩くのに25分も掛かっています。これは最初の半分以下のペースでした。もう、克実やら優子やら悠長にレトリックで遊んでいる場合ではありません。

 

そしてなにより、ここから5キロも行くと、線路沿いから離れて山に入り、県境を越えなくてはいけません。

 

朝の時間帯。つまり、30キロ以上を歩く以外の選択肢がなくなってしまうことを意味しています。

 

心身ともに限界を向かえた僕。朝はまだ来ない5時。湖西線蓬莱駅。僕らは始発から2番目の列車に乗って、京都に帰るという選択を取りました。

 

リタイアでした。スタート地点を妥協節約したのに。

 

まぁ、そうは言っても、あの状況では仕方のないことだったと思います。 

 

足へのダメージは想像以上で、ゾンビのような歩き方と進行速度でしか歩けませんでしたし、信号も青のうちに渡り切れないほど。家に帰るのも一苦労です。

 

そして、思います。

 

「舐めてたな」

 

で、水戸クンとリベンジ ―残りを歩ききる― ことを誓いました。

 

ーーー年の瀬も差し迫った12月27日。ようやく足も回復し、安藤優子が帰っていった頃。「失礼したわね」と颯爽に帰っていった頃。

 

僕らは蓬莱駅から地獄の行軍のリベンジをしました。一回目と同じようにスタート時には小雪が舞っていました。

 (続く)