岐阜から東京まで歩いた話03

 

 

(前回↑の続き)

 

2月22日。やっと、箱根を越えます。

 

三島駅から小田原駅の34.4キロ。最高地点は854メートルの峠道です。

 

例によって夜明け前に電車に乗り、6時過ぎの三島駅から歩き始めます。

 

ここに来て僕は過去最高のモチベーションです。箱根を越えることはこの行軍の最大の目的で、山の上には夢にまで見たあの「箱根」があり、山の向こうは僕の慣れ親しんだ関東地方が待っています。僕は思いました。「峠さえ超えれば、下りしかないし、神奈川だしもう殆ど終わりだべ」

 このとき、れそくんはすっかり忘れていたのです。箱根の峠から東京の我が家までの道のりが殆ど箱根駅伝の復路と同じだということを。今年三連覇を成し遂げた青山学院でさえ5時間半の時間を要した道を歩いていこうとしていることを。

 

しかし、れそくんの頭の中にそんなことはつゆほども浮かんでいません。わずか3か月前にテレビで見ていた箱根駅伝の記憶は、絶賛開催中だった平昌オリンピックのショーンホワイトのカッコよさに、羽生結弦の華麗さに、すっかり薄れてしまっっていました。

 

熱しやすく冷めやすい。嗚呼、まさに典型的日本人です。

 

そして、この前日(2月21日)はスピードスケート女子パシュート決勝の日。深夜、清水のネットカフェで一人、手に汗握る決勝戦を見届けた僕の脳裏には箱根駅伝の「は」の字も残っていませんでした。日本チームおめでとうございます。そして、青学の皆さん、ごめんなさい。

 

そんななか余裕の心持ちで歩き始めた僕でしたが、そんなに甘くないのがアジアン雑貨屋で売っているフェアトレードのチョコレートと現実です。スタート早々、上り坂が始まり、それが延々と続きます。

 

上り坂に中々ペースが上がらす、最初の1時間で進んだのは4.8キロ。要するに女子パシュート日本代表チームが2分54秒で進むところで僕は30分かかったことになります。ゴール地点では、きっと27分6秒待たされた高木那奈が小さな体を震わせて怒っているに違いありません。冗談です。高木那奈さん、ごめんなさい。

 

そして、登っていくにつれて、段々と気温も下がっていきます。日は高くなっていくのに下がっていく気温。麓で汗ばんでいた体が冷やされてしまう事を考えると、休憩も憚られて歩き続けることしかできません。

 

そして、登っていくにつれて、風が吹きつけてくるようになります。女子パシュート日本代表チームなら、縦一列になって向かい風を軽減することができますが、僕は男子徒歩一般個人なので、風よけもなく全ての風を一人で受け止めます。アレ。HOT LIMITを歌うT.M.Revolutionのアレ状態。

ただ、アレは「夏が胸を刺激する ナマ足魅惑のマーメイド」だから「やれ爽快っ」なんだけど、「冬が指先を苦しめる 長そで僕は残念賞」だと爽快でも「なんでもない」し、「やりきれない」です。

 

そうして、止まることもできずに逆風のなかで歩き始めて10キロでようやく一回目の休憩です。峠までは約あと5キロで、モチベーションはまだ健在でした。

 

「あと5キロ行けばおしまいっしょ」れそくんの頭の中に「箱根駅伝」の文字はまだないようです。

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2時間後。僕は峠を越え、元箱根に到着します。春はまだ遠い平日の11時。観光客もほとんどいない閑散とした箱根は文字通り寒々しく、僕は箱根のパンフレットを片手にひとり山菜そばを啜っていました。

 

なんとなくパンフレットを眺めていると、ふと目についたのは「箱根駅伝ミュージアム」の文字列。

 

「あぁ、たしかに、箱根と言えば駅伝だよなぁ」なんて思っていると、ようやく、ようやく、気が付くわけですよ。

 

これから下る道って箱根駅伝のあの道だよな。

 

やる気が芦ノ湖に沈んでいく轟音が聞こえました。(続く)