【タジキスタン】世界の屋根と自転車素人#03 「アチチスタン」

(前回↑の続き)

 

 ドゥシャンベにて

 ドゥシャンベに安宿は2軒しかない。その片方に3泊した。朝食付きで一泊7ドル。我々にとっては確かに安宿なのだが、タジキスタン人にとっての7ドルは決して安くはないのだろう。ドゥシャンベで唯一の欧米系高級ホテルにほど近い高級住宅街の中に立地した豪邸をホステルとして利用しており、満足なネット環境があったのはこの国でココだけだった。とても良い宿だったが、この宿は異様だった。

 

というのも、庭には荷物を満載した自転車・単車・自動車が所狭しと停まっている。そうして宿泊客たちは日々どこへ行くでもない。ある者は車の下に潜り込んで修理をしているし、ある者は自転車を解体してメンテナンスをしている。そして、昼下がりにもなると彼らは茶を啜って煙草をふかして寝るのだ。この宿を訪れる客のほとんどはパミールシルクロードを横断する「冒険者」。この宿はそんな旅路のベースキャンプなのだ。例えば、自動車の集団はレースの最中だという。なんでもヨーロッパからモンゴルまで小型自動車で横断する「モンゴル・ラリー」という大会の真っ最中らしかった。砂塵にまみれた各々の車がレースの過酷さを物語る。例えば、馬鹿でかい単車に乗るアメリカ人の親父はユーラシアを横断しているという。車体にびっしりと並ぶステッカーは行く先々での「冒険者」との交流の証らしかった。そんな中で、僕らの自転車だけが新品同然に光り輝いている。それが初心者感が満載でちょっとだけ恥ずかしかった。

 

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宿の様子

ドゥシャンベではひたすらに惰眠を貪って、たまに、必要なものを買いに行ったりした。歩いてみるとドゥシャンベの街は整然として建物は綺麗で、大通りにはゴミ一つ落ちていない。アジア最貧国とは思えない景観が続く。それは快適で過ごしやすいのだが、この国の経済規模でこの街の様子、いったいどれほどの血税が投入されているのだろうかとも思った。タジキスタンは他の中央アジアの国と同様に独立以来の独裁体制が続いている。街は大統領ラフモンの肖像画だらけだし、首都ドゥシャンベの市長は大統領の息子だ。どうやらこの街の整然さは彼らの権威を反映したものらしかった。そんなドゥシャンベの夏は最高気温が40度にも達するから昼になると街から人の姿が消える。閑散とした往来と微笑むラフマンの写真になんとなくディストピアを感じた。そして、僕はあまりに暑いので「これじゃあタジキスタンじゃなくてアチチスタンだね」と言った。海老名クンは微笑んでいた。ディストピアを感じた。

 

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ホログへ。
綺麗な街と立派な宿の居心地はすこぶる良かったのだが、長居するわけにもいかない。僕らは自転車旅のスタート地点、ホログへと行く必要があった。ホログはドゥシャンベから東へ700㎞ほど離れた街で、パミール最大の都市だ(といっても人口は3万人もいない)。ただ、この街へ行くのは簡単ではない。

 

まず、ホログのあるゴルノバタフシャン自治州は10年ほど前まで反政府勢力の拠点だった。そのため、情勢が安定した今でもホログに入るにはビザとは別の入境許可証が必要だ。そして、ホログへと続く道はアフガニスタン国境を添うように走る一本道。アップダウンが激しく、しかも未舗装。この道を半日以上走らなくてはいけない。それに、こんな道だからホログへの陸路の公共交通はなく、乗り合いタクシーをチャーターする必要があるのだ。

 

乗り合いタクシーは公式なターミナルがあるわけでもなく、街の市場の裏の駐車場に集まっているという。ということで出発の前日、乗り合いタクシーがたくさん溜まっているという駐車場に行って様子をうかがうことにした。何人かのドライバーと話してみると相場は一人300から400ソモニ。日本円で3600~4800円。それに積み荷代として50~100ソモニ、そんな感じだった。その中の一人が、「明日の7時に来い。三列目の座席なら全部込で300。二列目なら350。」と、わりかし好条件を持ち掛けてきたので、僕らは彼のトヨタランドクルーザーの三列目を選択して話をまとめた。どの車を選んでも「正解」というものは存在しない気もするが、この選択は明らかに失敗だった。そうとも知らずに、僕らは相場より安く交渉をまとめられたことにホクホクだった。アチチスタンだった。