【タジキスタン】世界の屋根と自転車素人#04「チャイと賄賂について」


 (前回↑の続き)

 

チャイで待つ

翌日。8月14日。朝5時に起き、荷造りを済ませて宿を出た朝7時。10分ほど自転車を押してバス溜まりに着くと件のドライバーとシルバーのランクルトヨタランドクルーザー)が僕らを待っていた。さぁ出発!かと思ったが、そうではないらしい。というのも、我々以外にホログまで行く客を待っているのだという。ドライバーにも生活がかかっている。一人でも多く乗客を集めたいのだ。「俺は客を待ってるから。ここでチャイでも飲んで待ってて。客が集まったら迎えに来るから。」と僕らは市場の食堂の様な所に連れていかれた。で、僕らはチャイを啜って時間をつぶした。

 

中央アジアのチャイはインドのようなミルクティーではなくて、いわゆる普通の紅茶や緑茶だ。ヤカンに並々入ったチャイを湯吞に移して、そこに大量の砂糖を入れてチビチビ飲むのが中央アジア式。おやつ時にはジャムやコンポートを投入することもある。俗に言うロシアンティーだ。中央アジアでこのチャイほど飲まれているものはない。何かを食べる時、そこには必ずチャイがあるし、どんな辺鄙な土地の食卓でも必ずチャイはある。そして、彼らは「チャイ?」と外国人の僕らをお茶に誘ってくれるのだ。ある時は道端のおばあちゃんから。ある時はトラックを修理しているおっちゃんから。それほど彼らの生活にチャイは根付いているし、チャイを介して彼らは話に花を咲かせるし、チャイで時間をつぶすのだ。

 

話を戻そう。中央アジアの人々にならって、チャイで時間をつぶしている僕らだが、肝心のドライバーは一向に迎えに来ない。15分、30分、45分と待っても彼の姿はなく、ポットに並々と入っていたチャイはもうほとんどなくなってしまった。待ち始めてから1時間が経過して、ヤツに荷物だけ持ってかれてトンズラ、という可能性が見え隠れしはじめた矢先に彼が戻ってきた。よかった。悪く思ってごめんよ。そして満を持して、さぁ出発!かと思ったが、そうではなかった。なんと彼、隣のテーブルでチャイを飲みだしたのである。

 

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…結局、出発したのは集合から2時間後の朝9時だった。多くの車はもう出発していて、残っている車の数は半分ぐらいになっていた。ドライバーのチャイ休憩が終わると、ようやく僕らはランクルの三列目に乗り込む。ランクルの三列目は思っていたよりも狭くて座った段階で頭は天井スレスレ、足元に余裕は無く座席に手荷物を置いてしまうと幅の余裕もない。これで12時間かぁ…と早くも若干の不安を感じていると、ずいぶんとガタイの良いおっさんがこっちにスタスタと歩いてきた。で、車に乗り込んでくる。で、僕らの隣に座ってくる。そして、座ってしまった。そうしてランクルの三列目は成人男性3人がオキュパイド。こうなるともう一分の隙間も僕らにはなくて、不安が絶望に変わったその時、ランクルは動き出した。計9人を乗せ、2台の自転車とたくさんの荷物を載せたランクルがようやく動き出した。僕のため息はエンジン音にかき消された。追い打ちをかけるようにドライバーはタジキスタンの歌謡曲を爆音で垂れ流す。僕のため息はもうどこにも残っていなかった。なんとも形容しがたい歌謡曲たちは最後まで止むことはなかった。

 

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検問所のカネ

3時間ほど走って昼食のために休憩を取った後から景色が変わっていった。標高が上がるにしたがって草木は少なくなり、道は荒れてゆく。そうして、登っていくうちに不意に車が止まった。検問所と軍人の姿がある。どうやらここからがゴルノバタフシャン自治州らしく、それはボーダーコントロールだった。パスポートとビザと共に入境許可証を提示すると僕らのランクルは特に問題なくゴルノバタフシャン自治州に入境した。余談だが、この後ホログに着くまでに何度か検問所があってその都度に僕らは足止めを喰らうことになる。ドライバーは毎度毎度、検問所の軍人の詰所まで赴くのだが、その手には僕らのパスポートと入境許可証の他に現金も握られていた。通行料という名の賄賂が必要なのだろうか。軍人らの生活も楽ではないのだろう。彼らを無下に批判することは出来ないが、この国には不要な障害が多すぎる。と思った。

 

ゴルノバタフシャン自治州に入るとすぐに峠に当たる。峠を越えて、再び下っていくと両側を高い山に囲まれた川に出くわして、車はそれに沿って走っていくこととなる。すれ違うのもやっとな砂利道で、まれに木が生えている乾ききった土地だ。ほんとうにこの先に人口3万の都市が待っているのだろうかと不安になるが、ランクルは砂塵の中を進むだけだ。対岸はもうアフガニスタンである。