【チリ】パスポートを盗難された後にやるべき事

前編(https://ressoryankyoto.hatenablog.com/entry/2019/03/28/110021)では事件の経緯を説明しましたが、後編ではパスポート再発行までの手続きを説明したいと思います。

 

 

「警察への連絡」

僕らはしばらく手掛かりのないまま街を走り回っていましたが、事の一部始終を見ていたというおばさんが僕を呼び止め、警察に通報して電話で事情を説明してくれました。

 


別の方向へと探しに行った友人と落ち合う為に一度宿に戻り、10分後におばさんの元へと帰るともうパトカーが到着して、2人組の警察官がパトカーから降りているところでした。僕が警察官にポリスレポート「チリ警察発行の盗難・紛失届出証明謄本(Certificado de Copia de Constancia)」が欲しい旨を伝えると、警官は僕らをパトカーで警察署まで連れて行きました。(下記地図の青)

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警察署では書類製作のための事情聴取が行われました。やり取りはグーグル翻訳を利用したりするものの、基本的にはすべてスペイン語で行われました。しかし、事件の概要はおばさんが伝えてくれていたのでしょうか。込み入った質問はされずに、犯人や盗まれた鞄の特徴など簡単な質問が多かったです。

 


また、この時に盗難証明書(certificado de robo)も同時にもらっておいた方がいいと思います。これが無いと保険がおりないそうです。

 


ちなみに今回の場合では自分から言いださない限りは、特にカバンの内容物について訊ねられることはなく、パスポートと鞄自体の盗難証明書の発行だけで終わりそうだったので、その旨を伝えてパソコンについての盗難証明書を追加してもらいました。

 


1時間ほどでこの書類の作成が終わり、一応の処理は終了になります。僕の場合はA4用紙の二枚綴りでした。また、この段階で「盗難・紛失届出証明謄本(Certificado de Copia de Constancia)」は身分証の代わりの役割になります。つまり、飛行機やバスに乗る時、宿に泊まる時にはこの書類の提示が必要になるので常に携帯する必要があります。

 

 

 

「パスポートを再発行する」

翌日、僕は飛行機で首都のサンティアゴへと向かいました。パスポートの代わりに警察書類を見せると問題なく搭乗できました。宿も問題なくチェックインできました。

 


在チリ日本大使館のホームページでは、「旅券が紛失・盗難に遭った場合」の手続きについての記載があります。

 


一般に海外でパスポートを紛失した場合に取りうる措置は2つあります。一つ目は「パスポートの新規発給」、二つ目は「帰国のための渡航書の発給」です。

 


「パスポートの新規発給」とは文字通り、全く新しいパスポートを作り直すということで、「帰国のための渡航書の発給」は現地から日本への帰国についての一度きりの許可証の発行ということになります。

 


「帰国のための渡航書の発給」の方がより簡易的で迅速なので、すでに帰国の日程が決まっている方はこちらの方がいいと思います。

 

 

 

「パスポートの再発行に必要な書類」

在チリ日本大使館のホームページでは「パスポートの新規発給」に必要な書類が全部で6種類掲載されています。

 


①紛失一般旅券等届出書

これは大使館の窓口に置いてあり、その場で記入するので事前に準備する必要はありません。

 


②一般旅券発給申請書

これも①と同様です。準備する必要はありません。

 


③写真2枚

「提出の日前6ヶ月以内に撮影された、縦4.5cmX横3.5cm 頭上の余白4mm前後で頭頂から顎までが3.4cm前後、無帽、無背景のもの」が必要です。サンティアゴでは「Instanfot Ltda - Foto Visa y Foto Carnet en Santiago Centro(下記地図のピン)」で証明写真が撮れました。4枚で5000ペソでした。

 


f:id:ressoryan:20190329095157j:image「店名:Instanfot Ltda - Foto Visa y Foto Carnet en Santiago Centro(住所:Ahumada 131 Tercer, piso oficina 313, Santiago, Región Metropolitana)」

 


④戸籍謄本

ホームページ上では「発行後6ヶ月以内の原本」と記載されていますが、スキャンしたものをデータで提出の形で問題ないということでした。(帰国後に原本を国際郵便で送ることが必要です。)

 


⑤身元確認書類

ホームページ上では「日本の運転免許証等写真付きの公文書」と記載されていますが、僕の場合、免許証も学生書も盗まれていたので写真付きの公文書を持っていない状態でした。しかし、大使館の方に伺ったところクレジットカードでも良いということでした。

 


⑥チリ警察発行の盗難・紛失届出証明謄本(Certificado de Copia de Constancia)

先述した警察発行の書類です。

 

 

 

「大使館に行く」

日本から戸籍の写しがメールで送られてくるのを待って、僕は日本大使館に行きました。地下鉄1号線のLos Leonesが最寄駅です。(下記地図の赤いピン)f:id:ressoryan:20190329095511j:image

 


大使館に着くと正面に警備員がいる窓口があるので、パスポートを作りたい旨を伝えましょう。(日本語は通じないようです。)旨を伝えると、向かって右側の領事部へと通されます。領事部の方は日本語での対応となります。そこで必要書類に記入し、提出してください。その後、指定のメールアドレスに戸籍謄本の写しが提出されたことを確認して、パスポートの発行に移ります。

 

 

「パスポートを受け取る」

ホームページ上では再発行まで3~5日かかると記載されていますが、僕の場合は即日で、その日の午後にはメールにて連絡があり、パスポートが発行されました。新規発給の代金は現金で、64500ペソでした。お釣りが無いように丁度の代金を持っていきましょう。

 


日本大使館には迅速に対応していただき本当に助かりました。とても親身になっていただきました。身ぐるみ盗難にあったりして、書類等が用意できなくても、とりあえず日本大使館に連絡して指示を仰ぐのが良いと思います。

 

 

 

「まとめ」

・まずは警察に通報して、書類を発行してもらう。

・次に大使館に連絡して指示を仰ぐ。

・戸籍謄本を持っていない場合、日本から戸籍謄本の写しをデータで送ってもらう。

・そして、必要書類を用意して大使館に行く。

 


パスポートの再発行まではこの流れになります。盗難されてすぐはパニックになってしまいますが、盗られたものは仕方ないです。粛々と手続きを進めるだけなので冷静に落ち着いてやりましょう!少しでもお役に立てば幸いです!!

【チリ】パスポート盗まれました(事件の経緯編)

チリでサブバッグを盗まれました。現金やパソコン、パスポート等総額10万円超の被害総額です。

 


反省と注意喚起を込めて、ブログとして投稿します。

 


前編では事件の経緯を、後編では事件後の諸手続きについて紹介しようと思います。

 

 

 

「盗難事件の経緯」

僕は大学の友人と2人で南米を旅していました。その友人が新年度に向けて3月23日にチリのアントファガスタ州カラマから日本に帰国するということで、前日の22日に僕たちはボリビアのウユニからカラマへと移動しカラマで一泊しました。

 


そして翌日の23日。友人のフライトは夕方の6時ということで時間があったので、少しカラマの街を散策していました。街や市場をぶらついて、13時過ぎに中央市場近くの大衆食堂(下写真のcosinera DESSY)に入りました。(下記地図の黄色い星マークの場所です。)大衆食堂の店内は奥に細長く、テーブルは4人がけのものが3×10弱並んでいたように思います。つまり、縦に三列並んだテーブルの間を通路として利用している様子でした。

 

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僕らは縦の中央の列、入り口から数えて3つ目ぐらいの4人がけテーブルに座りました。友人が入り口側に座り、僕はその正面に向き合って座ります。そして僕は隣の席に持っていた斜め掛けのサブバッグを置きました。

 


一通りメニューを見て悩んだ後、店員が僕らのオーダーを取り終わる頃に入り口から中年の男女が僕たちのテーブルに近づいてきました。そうして僕らの座る椅子の反対側、つまり、サブバッグの置いてある側を通って、彼らは僕の背後を通過し僕らの座る方へと抜けていきました。ちょうどJの字を書くような感じです。

 


すると彼ら、僕らのテーブルの真横でモゴモゴモゴと何かを言ってふいに紙ナプキンを落とします。この時点で何か怪しいなどという違和感は特に無く、僕は拾ってほしいのだと解釈して、紙ナプキンを拾ったのですが、それを渡そうと顔を上げると彼らはもういなくなっていました。そしてここで違和感を抱き、自分の隣の席へ向き直すと、あろうことかあるはずのサブバッグが消えていました。

 


「やられた」

 

サブバッグが盗まれたことに気づいた僕は彼らの後を追ってすぐに店を飛び出しました。男の方が左へ歩いて行ったのが見えたので、男を追い、追いつきましたのです(下記地図赤矢印)。ただ、彼は僕のサブバッグを持っておらず、「俺の鞄はどこだ!」と訊ねると道の反対側を指さします。そこで、パニックで気が動転していた僕は男を解放し、道の反対側へと走り出してしまいました。おそらく女は店を出て右側へと逃げたはずです。(下記地図青矢印)そうするともう彼らは見つかるはずもなく、僕のサブバッグは完全に盗まれてしまいました。

 

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幸いスマホと全てのクレジットカードは無事だったのですが、米ドル(500ドル程度)、パソコン、パスポート、免許証、学生証、モバイルバッテリー等総額10万円を超える被害でした。

 


これが事件の顛末になります。人気の多い白昼の店内で自分は友達と二人でいる、しかも南米では比較的治安の良いチリということもあり油断していました。完全に油断していました。普段サブバッグをサラで置くようなことはしないだけに滅茶苦茶くやしいです。情けないです。ちなみに、首都のサンティアゴでこの話を欧米人のバックパッカーにしたところ「カラマは治安がいいのに。」と言われましたが、後日日本大使館の方に伺ったところ、チリでもスリやひったくり等の軽犯罪は多発しており、特に東洋人はお金を持っていると思われているため特に注意が必要なそうです。我々日本人は常に狙われていることを肝に命じた方が良さそうです。

 

 


後編では、事件後の警察への連絡やパスポートの再発行について書いていこうと思います。

 

類似の事件が起こらないことを願います。

若者の旅行について思うこと(一番最初の記事として投稿しようとしていたもの)

 

最近、若者の旅行についてSNS上で様々な意見が見られています。事の発端はというと、ヒッチハイクアメリカ横断を実行しようとしていた日本人の中学生です。彼の計画があまりにも無謀で危険を顧みない行為だったために、SNS上で彼を危ぶんだり批判したりする声が上がり、そこから様々な人が旅に関する考えを述べだしました。

 

僕自身としては以前ブログでも書いたよう(『ゲンロン0 観光客の哲学』読書ノート:旅人でも観光客でもないモノ#01 - ウルムチのホテルにチャリを送る。~現役京大生の世界一周~)に、「旅行」という行為そのものについて考えながら旅行をしてきました。現在進行形で旅行をする一人の若者としてここに考えを残しておきたいと思います。

 

 まず、騒動の発端となった彼についてですが、彼の行為が褒められるべきものじゃないのは承知しています。しかし同時に彼を理解できる面もあります。

 

というのも僕が行なった自転車旅もある意味では無謀な旅行だったからです。自転車経験の少ない人間がパミールを横断するのはそれなりにリスクが伴います。それを理解した上で、それでも僕がパミールに自転車で行きたかったのは、パミールの写真を見た時に受けたあの衝撃を自分の力で体感してみたかったに他なりません。彼も同じなのではないでしょうか。彼の「いいねが欲しい」「有名になりたい」といった肥大化した承認欲求が指摘されることがありますが、決してそれの為に旅行していたわけではないと僕は思います。それ以上に純粋なモノが彼を動かしたのではないでしょうか。ただ彼について残念だった点は、その純粋な想いに対して正直になれずに彼のビジョンが良く分からなくなってしまったことだと思います。彼はクラウドファンディングを行っていました。クラウドファンディングを行うということは自分の旅行が商品化してしまうということです。この時点で、彼の旅行は純粋な想いから離れて道具となってしまいました。ただ、旅行を道具としている割には、彼は自分の旅行が何のための旅行なのか説明していなかった。旅行系ユーチューバーのように名声とお金の為に旅行をするほど割り切れてもいなかった。この姿勢が「遊びたいからお金くれ」のように捉えられてしまって、人々は彼になんとなくの嫌悪感みたいなものを感じてしまったのかなと思います。クラウドファンディングを行うには旅行がその本質を損なうことへの覚悟が必要だと、今回の件を通して考えました。

 

また、彼は自身の旅行を無謀だと思っていなかったのではないかと思います。これまでの自分の経験からアメリカ横断について十分の勝算を持っていたのだと思います。旅行者にとってこの判断は非常に大切なものです。事実、自分自身もパミール旅行については安全や健康を考慮してかなりの妥協をしましたし、この判断ができない人間が旅行に出るべきではないです。その中で、彼は誤りこそしましたが判断をした。彼の過ちは彼自身の無知から来るもので己の無知に無自覚だったことは批判されるべきですが、ここについて批判をされるべきではないと考えています。

 

そして、彼自身に問題が無かった、とは言いませんが、それ以上に周りの大人の責任は大きいのではないでしょうか。義務教育という国民の義務を放棄して国外に送り出した親御さん、旅行の良い面しか見せずに旅行を奨励する大人たち。危うさを持つ子供たちを一度立ち止まらせることが周囲の役目です。特に若者の無謀な旅行について警鐘を鳴らせなかったバックパック旅行業界は大いに反省する必要があると思います。かく云う僕も彼の旅行にロマンを感じてしまった一人です。これは反省しなくてはいけません。

 

 

次に、僕を含めた若者の旅行についての考えです。これについては、このブログに最初に投稿しようとしていた記事(ボツ記事)に考えがまとまっているので以下に転載します。

 

前日譚:キャリア的旅批判

 

なんにも用事がないけれど、自転車に乗ってパミールへ行って来ようと思う。そして、そのまま旅に出ようと思う。行ってしまえば八か月間、戻らずに旅をしようと思う。始点も終点も日本だから、いわゆる世界一周である。幸いにも時間と経済に余裕があるから行かないということはないわけだ。秋口にこれについて案じ始めて、春前には決心をつけた。そうなると、もうはやい。あっという間に桜が咲いて散って若葉が萌えた。

 

旅に出る理由はだいたい百個ぐらいあるのだけれど、目的は、ない。

 

はじめて海外へ行ったのは1歳の頃で、なんとグアムへ行ったらしい。そんなことは全く覚えていないけれど、親にさんざん連れまわされた影響もあって旅行が好きだった。そして、二十歳の時分、世界一周である。小学校の卒業アルバムの将来の夢という欄に「世界一周」と書いていたから文面的には8年越しの夢がかなったことになる。けれども、これは半分、嘘だ。当時、小学六年生の自分にとって「世界一周」という夢はある種の逃げだった。そもそも将来の夢という問いに「世界一周」と答えるのは素直でない。皆がスポーツ選手だの漫画家だのなりたいと夢想する自分像を答える一方で、自分としてはそこにそれを書きたくなかった。将来、卒業アルバムを見た自分が理想とかけ離れている自分になっている悲愴な姿が脳裏に浮かんだのである。そこで「世界一周」である。これならなりたい自分になれなかったとしても達成できる夢だ。そして、「世界一周」という文面は世間体もよくカッコいい。降ってわいた夢だったけれど、そこに「世界一周」を書いた。そして、今、「夢」がかなおうとしている。未だに自分の中の世界一周は卒業アルバムのあの「世界一周」なのだろうか。

 

アルバムに「世界一周」と書いた半分は逃げだったが、半分は憧れだった。沢木耕太郎への憧れだ。「深夜特急」を初めて読んだのは卒業アルバムをつくる少し前のことだったように思われる。家にあった「深夜特急」になんとなく手を伸ばし、気付くと貪るように読んでいた。香港で旅を始め、インドからロンドンまで陸路で移動した旅の記録。自分も80年代を生きたバックパッカーのようにこの本に魅せられていたのだろう。こと香港、東南アジア編については何度も読み返した。しかし、沢木の旅の終結を見届けることがなんだか名残惜しい気がして、ポルトガルのサグレス岬に到達するところで本を置いた。沢木は国語学者大槻文彦の言葉を借りて旅の定義とする。すなわち、旅とは「家ヲ出テ、遠キニ行キ、途中ニアルコト」なのである。そういう意味において沢木は自分の中ではいまだに旅の中にいるし、ロンドンはまだ見ぬ夢の場所である。これ如何せん。

 

何のために旅をするのか。

 

われわれ日本人が世界一周という自由を手に入れたのはつい最近のことである。小田実は60年代に世界一周を成し遂げたバックパッカーの先駆者といえるだろう。小田はハーバードへの交換留学生として日本をとびだして世界を遊学した。同じ頃、北海道にはカニ族と呼ばれる放浪の若者が集まるようになる。彼らはアメリカで発生した「ディスカバーアメリカ」のムーブメントに影響されて当時、日本最後のフロンティアだった北海道、特に道東を旅した。そして64年に自由旅行が解禁され、海外旅行が社会化し、同時に娯楽化する。80年代における沢木の旅は旅の社会化や娯楽化の恩恵を最大限に被ったものである一方で、逆説的に制度化、娯楽化した自由旅行へのアンチテーゼであり、彼はその旅の道中で自らの旅の意義を自問自答し続ける。自由に旅ができるようになってから半世紀、私たちはロマやユダヤ人のように存亡をかけて旅する必要はないし、スマートフォンひとつで移動し、泊まり、出会うことができる。私たちの旅はもはや冒険ではなく、誰にでもできる娯楽であることは否定できないだろう。自分がパミールにおいてそうであるようにいくら刺激や興奮を求めた旅をしたところで、それは疑似冒険に過ぎないのだ。

 

ひとつ言いたいのは旅というものが偉大な何かでなければ、有益な行為でもないということだ。どちらの旅が偉いかということはなく、ましてや旅をしているから偉いというわけもない。私たちは旅に目的を探しがちで旅をそれ以降の人生に役立てようとするが、大層な大義名分は置いておいてその本質は娯楽であって自己満足に尽きる。そこに何を見出してもいいし、自分がそうであったようにそれを憧憬のまなざしでとらえてもいいけれど、啓蒙的な旅礼賛はあってはならない。なぜならば、本来、旅に目的はないからである。あなたが旅から得たと思う何かも予期のできない後天的な産物であって、「旅をしなさい。さもなくば、それが与えられん。」とあなたの後を追う誰かを導くことは彼の旅に目的をひもづけることを意味するのだ。目的をひもづけられた旅は道具となり、「道具的旅」はそこに主体性を失う。哲学者のアドルノとホルクハイマーは理性における道具化を批判(道具的理性批判)するが、旅においても同様に「道具的旅」は私たちの手をはなれて自動化し私たちは旅に対して無力になってしまう。時として旅は目的化するものの旅に目的はない。

 

何のために旅をするのか。これに答えようとするならば、旅のために旅をするのだといいたい。多くの若者が目的の伴わない旅を不安に感じたり他人の評価を気にしたり、また戻ってくるまでに人間として成長しなくてはいけないという強迫観念にとらわれている。しかしそんなことは可笑しくて、ゲームセンターやコンサートへ行くように旅に出ればよい。つまり、なによりも旅に対して快楽主義になることが大切だ。旅をしているという実感をかみしめることこそが旅の醍醐味なのだ。

 

先人たちの後を追い、八か月間旅をしようと思う。「世界一周」である。もう一度鴨川の桜が咲くころ、自分の世界一周は終わっているだろうか。沢木の旅を終わらせてやれているだろうか。

 

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【スペイン】外国人のインスタストーリーがパリピ過ぎて感情が無になる(上)

2018年ヒップホップ流行語大賞はKawasaki DriftのT-Pablow(下写真の帽子。写真はBADHOPのメンバー。)のバースから「川崎区で有名になりたきゃ人殺すかラッパーになるかだ」ってラジオでR指定が言ってたんですけど、なんであんなT-Pablowは華があるんすかね。で、バレンシア滞在で初めての週末のことですよ。

 

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 ステイ先の家族と一緒に水族館に行って、のほほんとした一日を終えようとしていたんですが、お母さん(アルマさん)から「今から甥っ子が家に来るから一緒に遊びに行ってくれば?あなたに任せるけど。」と。

 

あ、甥っ子いたんすね。あと、遊びに行くってどこに。てか、初対面のスペイン人と二人っきりかい。

 

新事実と疑問と気になることは多かったんですが、正直、体調もそんな良くなくて外出する気は皆無だったんで断ろうとしたんですけど、「とりあえず来るらしいよ」と彼女。

 

そんなこんなで午後九時半になると家のチャイムが鳴らされまして、家にナイスガイが4人やってきました。

 

・・・4人?まさかの複数人。そして、なんかみんなイカツイ。

 

で、来るなり「ナイトクラブ行こうぜ」と。

 

ひょえー。やっぱ情熱の国はスゲーわ。「自由の国、アメリカ」「微笑みの国、タイ」「情熱の国、スペイン」この三ヶ国にしか許されていない「○○の国」を、伊達に「情熱」で冠しているわけじゃねーわ。得体のしれない東洋人とナイトクラブ行くかフツー。

 

「ありがたいんだけど、今日ちょっと体調が・・・」

 

「今日はパーティーだぜ!」

 

バレンシアの夜はすごいんだ!」

 

「でも・・・」

 

そしたらアルマが「あなたに行く以外の選択肢はないね」と。

 

おいおいおい。さっき「あなたに任せるけど」ゆーてたやないか。お前もそっち側か。アルマ弁護士なんですけど、さすがに状況を読むのが上手い。

 

ってなわけで、完全に押し切られて、初対面のスペイン人達と出会って10分でクラブに行くとこになったんですよ。すると、ナイスガイの一人が

 

「じゃ行くか。車取ってくる。」

 

え、もう早速行くんすか。まだ10時っすよ。てか、クラブに車で行くんすか。これ帰りどーすんのよ。

 

で、10時30分。荒い荒い運転でクラブに到着しまして。

 

「オープンは12時だからちょっとここで待とう」

 

じゃー、家にいればよかったやろがい!とは言わずにまぁ待ちますわな。

 

ここでスペイン語の喋れない僕と英語の喋れない彼らがなんとかコミュニケーションをとってみると、彼ら全員が甥っ子なわけではなく、甥っ子とその友達3人らしく、一番イカツイ格好してるあんちゃんが甥っ子だとか。名前はパブロ。バレンシアのパブロ。

 

ここで僕の脳内では、BADHOPの「Asian Doll」という曲が浮かびまして、

 

欲しいものを買いまくっても満足しない 次欲しいの何?

俺を困らすAsian Doll 全部君のせい

俺を困らすAsian Doll 全部君のせい

欲しがるシャネルにルブタン バレンシアガにプラダ

いくら稼いでも足りない 全部君のせい

  

バレンシアガと歌うT-pablowがこのイカツイ甥っ子とリフレインしだして、もう頭ン中では甥っ子がT-pablowなわけですよ。そしたらこの四人組がBADHOPに思えてくるわけですよ。で、俺はAsian Dollなわけですよ。

 

やべーこいつらやべーよ絶対。朝までヘネシー飲むよ絶対。

 

休日もTrouble Men

俺ら遊びすぎてるせいさ

平日ですらもTrouble Men

派手な遊びしすぎたせいさ

朝までHennessy

 

 そう思ってました。その時は。この時僕はは気付いていないんです。周りのグループがみな男女で来ていることを。野郎しかいないのが我々ぐらいなことを。

で、12時回ってリストバンドもらってクラブへ入って行きますわな。

さすがスペイン。ラテンミュージックがガンガンにかかってるフロアが人でごった返してるわけっすよ。そんな人をかき分けながら、とりあえず一杯飲むか、と。で、なんとかバーカンまで辿り着いて、パブロがなんか注文します。やっぱヘネシー頼むんかな、パブロ。とか思ってたら、やってきたのはサザンコーラ4杯。

 

いや、めちゃくちゃ度数低くて飲みやすいヤツじゃないっすか。先輩。てか、4杯?全部で5人いまっせ。

 

足りなくない?ってパブロに訊いてみると、

 

「あぁロチョ(友人の一人)は今日運転するから飲めないんだよ。」と。

 

いや律儀ィー!

 

小2の頃にはタバコをふかし

金髪でスカジャンの友達

むかつく奴ら頭かち割り

周りの大人背中に入れ墨

13の頃には立派な犯罪者

用意周到乗り込むヴェルファイア

人を傷つけてはまた得る快楽

真面目ちゃんがベッドで寝てる間

朝まで溜まる中留公園

また檻のなか悲しむgirlfriend

出てきてすぐおまわりとcar chase

行ったり来たり遠回りの人生

 

BADHOPなら、こうであれ!なに安全運転しようとしてんねん。バリバリ飲んで朝帰りして逮捕されなさいよ。そんでロチョ君は傍らでスプライト飲んでるわけっすよ。

 

でも、まぁ意外とスペインのBADHOPは遵法意識が高いのかもしれない。その分フロアではスゴイんだろう。そう思って、フロアに戻ります。フロアはかなりの人でめちゃくちゃ盛り上がってる。そんな中でバレンシアのBADHOPは・・・

 

・・・いや全然やんけ。お前らずっと4人で踊ってるだけじゃねーか。4人で円つくって縦揺れしてるだけじゃねーか。

 

楽しそうな男女に囲まれた野郎4人の小さな円ですよ。人々の熱が解き放たれるフロアという太陽に浮かぶ小さな小さな黒点ですよ。お前らだけ温度低いよ。おい。

 

一方、僕はと言いますと4人の円を横目で見つつ、もはや自分が周りにいる女の子に話しかけた方がいいんじゃないかと思いながらも、言葉と人種の壁のせいで躊躇っちゃって。なんとなく曲に乗っていたんですよ。

 

すると遠くの方から僕の方に人が寄ってきまして、それが黒人の女の子でして。若くて小柄なミッシェルオバマを想像してもらえると近しい女の子でして。

 

スタスタ近づいてきたかと思うと距離5センチぐらいのところでスゴイ踊ってくる彼女。エロい。せっかく来てくれたもんだからとりあえず向き合って踊ってみる僕。すると、彼女、僕に抱きついておっぱい押し付けてくる。めっちゃエロい。

 

さらにエスカレートして、 僕の太ももにまたがって腰をくねらす彼女。なんかもう・・・エロい。

 

で、「え?誘ってんの?このままどっか行く?」とは言えずに、ただただ照れるしかない僕。

 

そして、照れてる僕と腰振る黒人をスマホで撮ってるパブロ。はしゃぐ友人3人。

 

そんなことをしてる間に曲が変わって、彼女は僕から離れてどこかへ行ってしまいました。

 

残されたのは野郎5人。僕は後悔。で、4人だった小さな円は5人になりましたとさ。そのまま午前4時前まで5人で円を作り、ひとりシラフだったロチョの運転で僕らは家に帰ります。帰り際、黒人の彼女は他の男で腰をくねらせてましたとさ。めっちゃ後悔。

 

 

 ・・・なんやコレ。

 

そして、二週間後、僕ら5人は再び夜の街へと繰り出すことになるのです。すんません、次から本題です。

【タジキスタン】世界の屋根と自転車素人#04「チャイと賄賂について」


 (前回↑の続き)

 

チャイで待つ

翌日。8月14日。朝5時に起き、荷造りを済ませて宿を出た朝7時。10分ほど自転車を押してバス溜まりに着くと件のドライバーとシルバーのランクルトヨタランドクルーザー)が僕らを待っていた。さぁ出発!かと思ったが、そうではないらしい。というのも、我々以外にホログまで行く客を待っているのだという。ドライバーにも生活がかかっている。一人でも多く乗客を集めたいのだ。「俺は客を待ってるから。ここでチャイでも飲んで待ってて。客が集まったら迎えに来るから。」と僕らは市場の食堂の様な所に連れていかれた。で、僕らはチャイを啜って時間をつぶした。

 

中央アジアのチャイはインドのようなミルクティーではなくて、いわゆる普通の紅茶や緑茶だ。ヤカンに並々入ったチャイを湯吞に移して、そこに大量の砂糖を入れてチビチビ飲むのが中央アジア式。おやつ時にはジャムやコンポートを投入することもある。俗に言うロシアンティーだ。中央アジアでこのチャイほど飲まれているものはない。何かを食べる時、そこには必ずチャイがあるし、どんな辺鄙な土地の食卓でも必ずチャイはある。そして、彼らは「チャイ?」と外国人の僕らをお茶に誘ってくれるのだ。ある時は道端のおばあちゃんから。ある時はトラックを修理しているおっちゃんから。それほど彼らの生活にチャイは根付いているし、チャイを介して彼らは話に花を咲かせるし、チャイで時間をつぶすのだ。

 

話を戻そう。中央アジアの人々にならって、チャイで時間をつぶしている僕らだが、肝心のドライバーは一向に迎えに来ない。15分、30分、45分と待っても彼の姿はなく、ポットに並々と入っていたチャイはもうほとんどなくなってしまった。待ち始めてから1時間が経過して、ヤツに荷物だけ持ってかれてトンズラ、という可能性が見え隠れしはじめた矢先に彼が戻ってきた。よかった。悪く思ってごめんよ。そして満を持して、さぁ出発!かと思ったが、そうではなかった。なんと彼、隣のテーブルでチャイを飲みだしたのである。

 

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…結局、出発したのは集合から2時間後の朝9時だった。多くの車はもう出発していて、残っている車の数は半分ぐらいになっていた。ドライバーのチャイ休憩が終わると、ようやく僕らはランクルの三列目に乗り込む。ランクルの三列目は思っていたよりも狭くて座った段階で頭は天井スレスレ、足元に余裕は無く座席に手荷物を置いてしまうと幅の余裕もない。これで12時間かぁ…と早くも若干の不安を感じていると、ずいぶんとガタイの良いおっさんがこっちにスタスタと歩いてきた。で、車に乗り込んでくる。で、僕らの隣に座ってくる。そして、座ってしまった。そうしてランクルの三列目は成人男性3人がオキュパイド。こうなるともう一分の隙間も僕らにはなくて、不安が絶望に変わったその時、ランクルは動き出した。計9人を乗せ、2台の自転車とたくさんの荷物を載せたランクルがようやく動き出した。僕のため息はエンジン音にかき消された。追い打ちをかけるようにドライバーはタジキスタンの歌謡曲を爆音で垂れ流す。僕のため息はもうどこにも残っていなかった。なんとも形容しがたい歌謡曲たちは最後まで止むことはなかった。

 

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検問所のカネ

3時間ほど走って昼食のために休憩を取った後から景色が変わっていった。標高が上がるにしたがって草木は少なくなり、道は荒れてゆく。そうして、登っていくうちに不意に車が止まった。検問所と軍人の姿がある。どうやらここからがゴルノバタフシャン自治州らしく、それはボーダーコントロールだった。パスポートとビザと共に入境許可証を提示すると僕らのランクルは特に問題なくゴルノバタフシャン自治州に入境した。余談だが、この後ホログに着くまでに何度か検問所があってその都度に僕らは足止めを喰らうことになる。ドライバーは毎度毎度、検問所の軍人の詰所まで赴くのだが、その手には僕らのパスポートと入境許可証の他に現金も握られていた。通行料という名の賄賂が必要なのだろうか。軍人らの生活も楽ではないのだろう。彼らを無下に批判することは出来ないが、この国には不要な障害が多すぎる。と思った。

 

ゴルノバタフシャン自治州に入るとすぐに峠に当たる。峠を越えて、再び下っていくと両側を高い山に囲まれた川に出くわして、車はそれに沿って走っていくこととなる。すれ違うのもやっとな砂利道で、まれに木が生えている乾ききった土地だ。ほんとうにこの先に人口3万の都市が待っているのだろうかと不安になるが、ランクルは砂塵の中を進むだけだ。対岸はもうアフガニスタンである。