ブログのタイトルを冠した街にまつわる幾つかのメモ書き(ウルムチ・前編)

  ここにご覧いただく文章は、ウルムチにまつわる小賢しい思考の断片と、それを全く裏付けないウルムチでの自堕落で無意義な生活の表象である。この文章は、日々記事を書こうと考えていたことを書き留めたメモに当たる前編と実際の行動に当たる後編に分かれている。ウルムチについての何か有益な情報を求める皆様の為に前もって断っておくと、これはウルムチにいた私についてのブログであって、ウルムチに関するブログではない。彼の都市名をブログに冠しつつもこのように無益な内容となっていることはご容赦願いたい。 

 

前編:ウルムチにまつわる幾つかのメモ書き

 ▽雲は我々より低く、少し上では霞み空と青空が綺麗に分離している。これが対流圏なんだな、と思った。黄色い大地は山谷に折りたたまれて際限なく続く。そして視線を水平に伸ばした先には山脈の尾根が雪に白く染められているのが見える。新疆に来たのだと思った。

 

北京にいた二日間が思ったより涼しかったのは日本が暑すぎるからだろうか。そんなこともあって北京での都市生活はすこぶる快適だった。13億台のスマホがあるであろうこの国の首都で何かに困るということは無かったし、全てがスマホで事足りた。尤も、中国語の文面をある程度理解しなくてはいけないのだが。パンダを見て、天安門広場に行った。典型的観光客である。

 

 

▽乌鲁木齐地窝堡国际机场はよくある大きめの地方空港といった趣だ。烏魯木斉までのフライトは西へ向かって4時間であるが、北京と烏魯木斉の間に時差はない。というのも中華思想において天下を支配する者は時をも支配するのだから中国共産党支配下の時間は1つであるべきなのだ、という理由から中国には時差がないからである。それで割を喰っているのは烏魯木斉をはじめとした西部に住む人々である。夏の烏魯木斉では22時過ぎまで日が沈まない。これでは不便なので烏魯木斉では中国標準時(北京时间)とは別にそれを二時間時遅らせた乌鲁木齐时间を併用している。だから只今の時刻は12時であり10時でもあった。空港の中には大きく「童心向党」の標語があった。子供のころから党への忠心を芽生えさせようといった目論見なのだろうか。北京では目にしなかったこの標語に共産党の新疆の、ウイグル人への眼差しを見て取れる。彼らは同じ時を刻んでいるようで異なる時間を生きている。ホテルまでの租车の運転手はウイグル語のラジオを聴いていた。

 

とはいえ、烏魯木斉は中国西部の最大都市で、北京から来た私にとってそこに「異国情緒」は感じられない。街行く人の半分以上は漢民族だし、アラビア文字の表記は漢字の下に申し訳なさそうに小さく併記されているだけである。乾燥した大地でこれでもかと水をやられた緑が生い茂り、ガラス張りの高層ビルが並び立つ。いくら抗ったところで文明と資本の波には勝てないのである。生活を豊かにすることで批判の声を生ませない。この地において中国共産党の狙いは粛々と進展しているのだと思えた。僕にはこれが悪いことだとは思えない。哲学者たちはこれに是とは言えないだろうが、主義主張だけで飯が食えないのも事実だ。だからといってプラグマティストという訳ではない。この豊かさには大きな犠牲がある。それは自由だ。この国ではFacebookTwitterYouTubeも閲覧できない。海外のサイトの多くにアクセスできない。彼らはいわばすりガラスの箱の中に閉じ込められている。そこに自由はない。ただ、繁栄と自由を天秤にかけて繁栄を選択する人間について僕は批判できないし、批判したくないのである。

 

 

▽ブログのタイトルを「ウルムチのホテルにチャリを送る」にしたのは、烏魯木斉という都市に或る種のロマンを感じたからに他ならない。そこは極東アジアの最果てであり、日本人である私からみた烏魯木斉へのまなざしには、サイードオリエンタリズムが十分に含まれていたのだろう。ただ実際は、烏魯木斉は大都市だったし、一帯一路における漢民族のフロンティア開発の一大拠点であった。「ウルムチのホテルにチャリを送る」のは想像していたよりもずっと簡単なことでなんてことのないように思えた。しかし、彼の地にオリエンタリズムのまなざしを向けるのはどうやら私だけではないらしい。街の南には新疆国际大巴扎(新疆国際大バザール)という施設があり、干し煉瓦のモスクやミナレットを模した大きな建物のなかに「バザール」がある。ただ、これは所謂「ハコモノ」であり2003年に造られたものだそうだ。外観の荘厳さとは裏腹に、内部で売られるのおはドライフルーツやお土産物の雑貨のような代わり映えのしないものだし、地下一階にはフランス資本のスーパーがあった。僕はそこでコカ・コーラを買って帰った。バザールは観光客の(特に漢民族の国内旅行者の)オリエンタリズムを満足させているのだろうか。バザールもこのブログのタイトルも空虚なものに思えた。

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そう感じて、「ウルムチのホテルにチャリを送る」というタイトルを変えようかとも思ったが、そうはしないことにした。代わりに、このタイトルに新たに自戒の念を込めよう。実際を観ずに、体験せずに、イメージを先行させてしまう虚しさへの。現実を都合よく解釈して紡ぎ合わせてしまう危うさへの。

 

 

(後編へ続く)