『明るい夜に出かけて』『コンビニ人間』読書ノート:コンビニ文学とアーレント

 

長距離を歩く時、コンビニは欠かせない。アスファルトの上を往くキャラバン隊である僕らにとってそこはオアシスだ。それは至る所に存在する。そこには食料があり飲み水がある。それはいつでも開いている。そして、休憩スペースで休めたりするとなお良くて、そしたらもう僕らは勝利したも同然だ。やっぱり24時間やっていて日本中で同じ店舗が展開しているのは偉大だ。口では資本主義や近代化に抗ってみたところでカラダは素直。コンビニの魅力の前には無力である。

続きを読む

滋賀から関空まで歩く!?三日間の歩行譚#02


ressoryankyoto.hatenablog.com

 前回↑のつづき

 

(前回までのあらすじ)ひょんなことから3日間で130キロ歩くことになった僕。初日、2月4日を滋賀県甲賀市からスタートせんとしていたのだった。。。

  

圧倒的成長

2月4日。この日は滋賀県甲賀市水口城南駅から京都は三条大橋までの40数キロを歩く予定です。

続きを読む

滋賀から関空まで歩く!?三日間の歩行譚#01

僕はマゾヒストボーイ

パミールハイウェイを歩く。そんなふとした思いつきから福井から京都までの90キロを踏破した2017年12月。そこから学んだのは90キロを歩くことはしんどい、そして、パミールハイウェイを歩きぬくのは険しすぎる道のりであるということでした。

 

パミールハイウェイを歩くのは特別な訓練でもしなければ難しいということを痛感します。でもその反面、長距離を歩く歓びみないなものに目覚めたことも事実です。意外とマゾヒストだったのです。

 

そして、年も明けたころ、パミールへの訓練も兼ねて、いや、自分の歓びの為に次の福井に続く次の行軍を計画し始めます。

続きを読む

『ゲンロン0 観光客の哲学』読書ノート:旅人でも観光客でもないモノ#02

ressoryankyoto.hatenablog.com

前回↑の続き

  では、私は旅人として旅をするべきなのか、それとも、観光客として観光するべきなのか。そもそも旅人という概念はもはや哲学の世界にしか残っていないのではないか。

 まず、旅行というものの偶発性について考えてみよう。旅行というものはマクロ的に捉えた場合、政治や経済と密接に関わる問題である。日本の経済はいわゆる爆買いの中国人に支えられているし、訪日外国人の数値目標を政府は設定する。一方で、ミクロの視点では、旅行客の行動は文学的—少なくとも政治的ではない―だ。目的を持たない人々がショッピングモールをぶらつくように「ふらふら」物見遊山するだけである。合理的な理由や必然性はなく、そこには偶発性がある。旅であっても観光であっても各旅行者がそこで何をして、誰と交流して、何を感じるのかは誰にも分らないのであり、旅行とは偶発性の連続と言えるはずだ。

続きを読む

『ゲンロン0 観光客の哲学』読書ノート:旅人でも観光客でもないモノ#01

 

 旅行に出るにあたって色々なことを考えなくてはいけないし、考える機会が増えた。ルートを決めたり装備を決めたりというような実践的なことも勿論だが、旅という行為そのものについても、考えることがある。人間にとって私にとって旅とはなんなのか。今から行く私の旅は一体何なのか。考えるのだけども、答えは出るものではない。そんなこともあって、旅に関する本を読み、その記録を書き留めたく思い、「読書ノート」の場所を作った。本来、人に見せなくてもいいのだけれど、目的がないとなかなかやる気にならない性分で、折角書き起こしたのなら誰かに見せたい。そういう思いでこれをブログに載せているので、この読書ノートは大仰な書評ではなく走り書きやメモを見るような気軽さで読んでほしい。

続きを読む