岐阜から東京まで歩いた話04

 

 

(前回の続き↑)

 

芦ノ湖にやる気は沈み、気温もテンションも低いまま、首を垂れながら僕はそば屋を出ました。

 

箱根駅伝かぁ。。。」

 

大学生活の全てを掛けた男たちが走り抜ける箱根路を、心の余裕とやる気の欠けた僕が行くことは出来るのでしょうか。途中で尽き果てようとも、どっちにしたって少なくとも小田原まで行く必要があるのです。箱根駅伝でいうなら6区を歩き切らなくてはいけないのです。

 しかし、箱根駅伝の6区と言えば、言わずもがなの山下り区間。…ということは、もうあとは下っていくだけ。

 

「いけるやん」

 

とは、なれなかったけど「なんとかなるでしょ」ぐらいには楽観してました。やる気が無くたって、一歩一歩歩けば、なんとか到着するのが徒歩旅のいい所だ、と。

 

そうして厭々ながらも山下りを始めようと、元箱根の街を出発して五分後。僕は上島竜平よろしく叫ぶのです。

 

「聞いてないよ!!!!」

 

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 え、ここ下るの?

あれ、箱根駅伝ってこんな感じやったっけ?

 

石畳っておい。雪残ってるっておい。

 

道を間違えたのかとも思いましたが、標識はこの道を示しているし、舗装路はギリギリまで車道になっていて人が歩けそうにもない。そして、なにより向こう側から登ってくるおじさんがいる。「こんにちは!」と、おもくそハイテンションの挨拶をしてくるおじさん。あっという間に過ぎ去っていったおじさん。彗星のおじさんがいる。

 

まぁ、あのおじさんが来たということは、そういうことなんだろう。腹をくくって

 

・・・降り始めます。

 

だけど、この道とてつもなく危ない。石畳とはいうけれど、その辺でとってきた岩をテキトーにばら撒いたような山道で、岩と岩の間に残っている雪は固まって氷のように滑るので、感じとしては斜面に造られたスケートリンクに岩が埋め込まれてる感じ。そこをウォーキングシューズで下っていくわけですよ。イニエスタとかいってたけど、所詮ただのウォーキングシューズですよ。ええ。足を滑らしたら、10メートルは止まらないような道。ここで怪我をしても車も入ってこられないから、自力で何とかしなくてはいけない道。

 

後で調べると、これ、江戸時代の箱根の道を再現したものらしいんですけど、その心意気が僕の神経と靴底をすり減らしてることに気づいてほしいものです。そして、あのおじさん、化物だわ。

 

そして、ゆっくりと下っていきます。「やる気が無くたって、一歩一歩歩けば、なんとか到着するのが徒歩旅のいい所だ」と思っていた僕ですが、この石畳では無気力でなんとなく歩いていたら間違いなく怪我するので、無い気力を奮い立たせて、いつ終わるとも知れない石畳を下っていきます。これだと箱根駅伝6区よりもツラいじゃないか。なんだよ。でも下るしかない。

 

滑らないように必死でバランスを取りつつ、脳内では日テレの海老原アナの実況が流れます。

 

「れそくんは、言います。辞めたい時は何度もありました。でも、ウダウダ進んでいたら辞め時を失ってしまった。だから、もう進むしかないんです。歩くしかないんです。そんな僕を見捨てなかった原駅伝監督に恩返しがしたいんです。さぁ、れそくん、小田原中継所へと箱根路を進んでいく。サッポロビールスポーツスペシャル、第94回箱根駅伝です。」

 

小田原は遥か彼方です。

 

(続く)